「ウィンスさん、お久しぶりです」
「あら華品じゃない。なにしてるの?」
「久しぶりにジョセフィーヌさんのいれたコーヒーが飲みたくなりまして」
「どーせ女に振られたんでしょ。ここにいい女が二人もいるのに、よそへ行った罰よ」
「相変わらず厳しいなぁ」
華品は笑いながらコーヒーを飲む。カウンターへ腰掛けたウィンスに、ジョセフィーヌはなにも言わずにコーヒーを出した。
ウィンスがコーヒーを飲むのを見てから、ジョセフィーヌが口を開く。
「この店、夜も営業始めてみようと思ってるの」
「夜?」
「喫茶で?」
華品とウィンスが首を傾げる。
ジョセフィーヌは口に手を当て小さく笑い、首を左右に振った。
「飲み屋っていうと怒るんだけど」
「ああ、妹さん?」
「そう。あちこちの店で働いて、そろそろ自分の店をね、やってみたいんですって」
「あらぁ、そうなの」
「だからね、開店したときには喫茶の常連を呼んでねってうるさくてうるさくて」
楽しそうに笑うジョセフィーヌを見て、ウィンスが華品へ視線を動かす。
「華品はお酒飲める?」
「あまり、飲めないかと」
「なぁに、その曖昧な返事」
「ふだん飲まないので、わからないんですよ」
ウィンスは意外そうな顔をしてジョセフィーヌに感想を求める。困ったジョセフィーヌは頬に手を当て首を傾けた。
「今まで飲んだことはないの?」
「ええと、成人してからほとんど飲んでないです」
「アラッ、じゃあ成人する前は飲んでたってことかしら」
「同居人がいたころは少し」
笑う華品にウィンスは大げさに頷いた。ニヤニヤとしながら華品の肩を小突く。
空のカップを両手で包むように持つ華品は、カップの底を見つめながら「ウィンスさんと飲めたら楽しいでしょうね」とつぶやいた。
「ま!」
「やぁだ、そしたら是が非でも来なきゃじゃない!」
ジョセフィーヌもウィンスも華品も、楽しげに声をたてて笑う。
華品の影に溶け込んだデイだけが、つまらなさそうにあくびをした。
●●○
セリフたくさん難しい……!
「あら華品じゃない。なにしてるの?」
「久しぶりにジョセフィーヌさんのいれたコーヒーが飲みたくなりまして」
「どーせ女に振られたんでしょ。ここにいい女が二人もいるのに、よそへ行った罰よ」
「相変わらず厳しいなぁ」
華品は笑いながらコーヒーを飲む。カウンターへ腰掛けたウィンスに、ジョセフィーヌはなにも言わずにコーヒーを出した。
ウィンスがコーヒーを飲むのを見てから、ジョセフィーヌが口を開く。
「この店、夜も営業始めてみようと思ってるの」
「夜?」
「喫茶で?」
華品とウィンスが首を傾げる。
ジョセフィーヌは口に手を当て小さく笑い、首を左右に振った。
「飲み屋っていうと怒るんだけど」
「ああ、妹さん?」
「そう。あちこちの店で働いて、そろそろ自分の店をね、やってみたいんですって」
「あらぁ、そうなの」
「だからね、開店したときには喫茶の常連を呼んでねってうるさくてうるさくて」
楽しそうに笑うジョセフィーヌを見て、ウィンスが華品へ視線を動かす。
「華品はお酒飲める?」
「あまり、飲めないかと」
「なぁに、その曖昧な返事」
「ふだん飲まないので、わからないんですよ」
ウィンスは意外そうな顔をしてジョセフィーヌに感想を求める。困ったジョセフィーヌは頬に手を当て首を傾けた。
「今まで飲んだことはないの?」
「ええと、成人してからほとんど飲んでないです」
「アラッ、じゃあ成人する前は飲んでたってことかしら」
「同居人がいたころは少し」
笑う華品にウィンスは大げさに頷いた。ニヤニヤとしながら華品の肩を小突く。
空のカップを両手で包むように持つ華品は、カップの底を見つめながら「ウィンスさんと飲めたら楽しいでしょうね」とつぶやいた。
「ま!」
「やぁだ、そしたら是が非でも来なきゃじゃない!」
ジョセフィーヌもウィンスも華品も、楽しげに声をたてて笑う。
華品の影に溶け込んだデイだけが、つまらなさそうにあくびをした。
●●○
セリフたくさん難しい……!
PR
(
2008/10/15)
残骸は流れて
ラベルを剥がしたペットボトルをつぶしながら、恵子は台所で涙を流した。空のペットボトルを水洗いし、ラベルを剥がして両手でつぶす。泣きながらだからうまく力が込められず、一つつぶすのに時間がかかる。
情けなくて、ますます泣けてきた。
恵子の後ろではテレビだけが光っている。閉められたカーテンが遮光カーテンでは、月明かりも入り込めない。
男に逃げられたわけでも、大学の単位が足りないわけでも、友達に約束をドタキャンされたわけでもなく、飼っていた金魚が死んだ。
朝、ドタバタと騒がしく出ていったから、いつ死んだのかわからない。もしかしたら、昨夜酔っ払って帰ってきたときにはもうすでに仏になっていたのかもしれない。
特別かわいがっていたわけではない。
でも、別段かわいがっていなかったわけでもない。
一緒に過ごした数カ月がある。
一日一回は話しかけていた。エサやりも忘れなかった。それなのに、恵子がバイトから帰ってきたら白い腹を上向きにして、ぷかぷかと浮いていた。
悲しくならないわけがない。
ペットボトルをつぶしながら、金魚をつかんだ感触を思い出す。動かない金魚のぬらりとした感触。アパートの植え込みを手で掘り、自分の拳が入るぐらいの穴に金魚を埋葬した。部屋に戻って、空のペットボトルをいくつか見つけ、リサイクルを思い出し水洗いを始めたら涙がこぼれてきた。
お笑い芸人の笑い声を背中で聞きながら、恵子はあふれる涙をそのままにペットボトルをつぶし続ける。
ビニール袋に放り込まれたペットボトルがボコンと音を立てた。
情けなくて、ますます泣けてきた。
恵子の後ろではテレビだけが光っている。閉められたカーテンが遮光カーテンでは、月明かりも入り込めない。
男に逃げられたわけでも、大学の単位が足りないわけでも、友達に約束をドタキャンされたわけでもなく、飼っていた金魚が死んだ。
朝、ドタバタと騒がしく出ていったから、いつ死んだのかわからない。もしかしたら、昨夜酔っ払って帰ってきたときにはもうすでに仏になっていたのかもしれない。
特別かわいがっていたわけではない。
でも、別段かわいがっていなかったわけでもない。
一緒に過ごした数カ月がある。
一日一回は話しかけていた。エサやりも忘れなかった。それなのに、恵子がバイトから帰ってきたら白い腹を上向きにして、ぷかぷかと浮いていた。
悲しくならないわけがない。
ペットボトルをつぶしながら、金魚をつかんだ感触を思い出す。動かない金魚のぬらりとした感触。アパートの植え込みを手で掘り、自分の拳が入るぐらいの穴に金魚を埋葬した。部屋に戻って、空のペットボトルをいくつか見つけ、リサイクルを思い出し水洗いを始めたら涙がこぼれてきた。
お笑い芸人の笑い声を背中で聞きながら、恵子はあふれる涙をそのままにペットボトルをつぶし続ける。
ビニール袋に放り込まれたペットボトルがボコンと音を立てた。
まただ、と思う。薄紫の瞳がこちらを見ている。真っ黒な世界で薄紫のほかには何もない。
何か訴えるでもない薄紫の瞳に、ただじっと見つめられるだけだ。
少年は静かに目をつぶり、意識を落下させる。体に重力をかけるように、ゆっくりと落ちていく感覚を思い出す。
すると薄紫の瞳は遠くなり、ついには消えてしまう。
何度も繰り返し見る夢は、いつまで経っても現実味を帯びない。自身の主人となる人間が近いとき、見る夢だと本能で理解した。
だが漠然としたイメージしかつかめないため、なかなか主人が目の前に現れる兆しはない。
早く会いたいのに。いや、まだ会いたくない。心の準備ができていない。主人と出会い、力を手に入れる体もできていない。
それに、幼いうちに主人と出会うと早くに主人を亡くすと聞いた。怖い。まだ会いたくない。もっと大きくなってからがいい。主人を亡くすなんて考えたくない。
首を左右に振り、悪い考えをどこかにやる。
つぶった目を開ければ、見慣れた自室が広がる。
(夢から覚めたんだ)
ぼんやりとした頭の中で考えた。
首を回し、レースのカーテンが閉められた窓から外を見る。まだ朝焼けすら広がっていない暗い空だ。
起きあがるとシーツが体から滑り落ち、一糸纏わぬ体が露わになる。成長する余地のある、幼い体だ。
再度眠るような気分ではない。ベッドから降り、カーテンを開ける。少しだけ窓を開けると冷たい空気がむき出しの胸を刺した。
「主人、か」
誰かに頼らないと使えない術なんていらないと思っていた。何の関係もない人間を本能で求めるなんてバカらしいと思っていた。
それが龍の定めだと言われても理解ができなかった。
なのに。
あの薄紫に見つめられるだけで血が疼く。頭ではなく、体が反応するのだ。自分の中の龍が主人を求めて必死に腕を伸ばす。あの人でないとダメだ。あの人以外考えられない。例えあの人が罪を犯そうと、業を背負おうと、あの人でないとイヤだ。
年齢も性別も分からない。どんな人なのかも分からない。あの人に関する情報は薄紫の瞳しかない。
だけど、それでも、あの人だけが自分の主人だ。
窓枠をつかむ手に力を入れ、体を上に持ち上げた。部屋と外とを区切る境界線を越え、小さな声で祝詞をつぶやく。
淡い橙色の光に包まれ、体が龍になる。長い体を上手にくねらせ空を泳ぐ。霧のかかったこの時期の朝の空気が好きだった。肌を刺すような寒さも、吐いた息が白くなるのも、好きだった。
どうせ主人になる人間がいるのなら、こういう霜降月のような人がいい。陽降月のように熱い人よりも、ずっとずっといい。
沈みかけている月を眺め、そう思った。
●●○
ファンタジックで王道がわからない。
何か訴えるでもない薄紫の瞳に、ただじっと見つめられるだけだ。
少年は静かに目をつぶり、意識を落下させる。体に重力をかけるように、ゆっくりと落ちていく感覚を思い出す。
すると薄紫の瞳は遠くなり、ついには消えてしまう。
何度も繰り返し見る夢は、いつまで経っても現実味を帯びない。自身の主人となる人間が近いとき、見る夢だと本能で理解した。
だが漠然としたイメージしかつかめないため、なかなか主人が目の前に現れる兆しはない。
早く会いたいのに。いや、まだ会いたくない。心の準備ができていない。主人と出会い、力を手に入れる体もできていない。
それに、幼いうちに主人と出会うと早くに主人を亡くすと聞いた。怖い。まだ会いたくない。もっと大きくなってからがいい。主人を亡くすなんて考えたくない。
首を左右に振り、悪い考えをどこかにやる。
つぶった目を開ければ、見慣れた自室が広がる。
(夢から覚めたんだ)
ぼんやりとした頭の中で考えた。
首を回し、レースのカーテンが閉められた窓から外を見る。まだ朝焼けすら広がっていない暗い空だ。
起きあがるとシーツが体から滑り落ち、一糸纏わぬ体が露わになる。成長する余地のある、幼い体だ。
再度眠るような気分ではない。ベッドから降り、カーテンを開ける。少しだけ窓を開けると冷たい空気がむき出しの胸を刺した。
「主人、か」
誰かに頼らないと使えない術なんていらないと思っていた。何の関係もない人間を本能で求めるなんてバカらしいと思っていた。
それが龍の定めだと言われても理解ができなかった。
なのに。
あの薄紫に見つめられるだけで血が疼く。頭ではなく、体が反応するのだ。自分の中の龍が主人を求めて必死に腕を伸ばす。あの人でないとダメだ。あの人以外考えられない。例えあの人が罪を犯そうと、業を背負おうと、あの人でないとイヤだ。
年齢も性別も分からない。どんな人なのかも分からない。あの人に関する情報は薄紫の瞳しかない。
だけど、それでも、あの人だけが自分の主人だ。
窓枠をつかむ手に力を入れ、体を上に持ち上げた。部屋と外とを区切る境界線を越え、小さな声で祝詞をつぶやく。
淡い橙色の光に包まれ、体が龍になる。長い体を上手にくねらせ空を泳ぐ。霧のかかったこの時期の朝の空気が好きだった。肌を刺すような寒さも、吐いた息が白くなるのも、好きだった。
どうせ主人になる人間がいるのなら、こういう霜降月のような人がいい。陽降月のように熱い人よりも、ずっとずっといい。
沈みかけている月を眺め、そう思った。
●●○
ファンタジックで王道がわからない。
「もう無理でしょ」
笑う真由子の顔はいつものものだった。鼻をならして、わずかに口の端を上げる。なのにまゆ毛はハの字になるのだ。目を細めた真由子が私を見る。
無理、という言葉を頭の中で反芻して、私は、無理なのか、という結論にたどりついた。
無理なのか。もう、無理なのか。
軽い気持ちだった。深い意味なんかなかった。友達の誘いをドタキャンするのも、彼の誘いに乗るのも、そのどちらもその場そのときその瞬間の感情だった。
「あたしはこの先、歩美と仲良くできる自信がない」
自信がないといわれて、私はどう返すのが正解なのだろう。真由子から視線をそらし、手元のカップを見る。
コーヒーはとっくの昔に冷めた。猫舌の私はちょうどいいけど、熱いものは熱いうちに口にしたい真由子は眉をしかめるだろう。
砂糖とミルクがたくさん混ぜられたコーヒーを飲む。まったく味がしない。真由子の言葉が頭から離れない。
ミルクティを飲み干し、そのカップをソーサーに戻す音がした。顔を上げると真由子と目があった。
「ごめん、帰るわ」
かばんから財布を出し、五百円玉をテーブルに乗せる。立ち上がる真由子を見ながらかける言葉を探したが、とうとう見つけることができなかった。
テーブルの上の携帯に手を伸ばし、止めた。私は今、携帯を開いて誰に連絡を取るつもりだったのだろうか。
何回も何回も私を遊びに誘ってくれた彼女とは最近、連絡をとっていない。何回も何回もドタキャンをすれば当たり前か。携帯に重ねた手に力を込める。
そういえばこの頃、連絡をとっていた親しい友人がいたか考え、むなしくなった。真由子か篠崎くんか、どちらかだけだった。交友関係の狭さを改めて実感した。そんなの前からわかっていたことなのに。
テーブルに残された五百円玉に目をやり、まさか今日が最後にならないよな、と不安になる。私は、真由子との友情をこんな形で終わりにしたくない。
こんな形じゃないとして、どんな形があるのかなんてわからないけど。
笑う真由子の顔はいつものものだった。鼻をならして、わずかに口の端を上げる。なのにまゆ毛はハの字になるのだ。目を細めた真由子が私を見る。
無理、という言葉を頭の中で反芻して、私は、無理なのか、という結論にたどりついた。
無理なのか。もう、無理なのか。
軽い気持ちだった。深い意味なんかなかった。友達の誘いをドタキャンするのも、彼の誘いに乗るのも、そのどちらもその場そのときその瞬間の感情だった。
「あたしはこの先、歩美と仲良くできる自信がない」
自信がないといわれて、私はどう返すのが正解なのだろう。真由子から視線をそらし、手元のカップを見る。
コーヒーはとっくの昔に冷めた。猫舌の私はちょうどいいけど、熱いものは熱いうちに口にしたい真由子は眉をしかめるだろう。
砂糖とミルクがたくさん混ぜられたコーヒーを飲む。まったく味がしない。真由子の言葉が頭から離れない。
ミルクティを飲み干し、そのカップをソーサーに戻す音がした。顔を上げると真由子と目があった。
「ごめん、帰るわ」
かばんから財布を出し、五百円玉をテーブルに乗せる。立ち上がる真由子を見ながらかける言葉を探したが、とうとう見つけることができなかった。
テーブルの上の携帯に手を伸ばし、止めた。私は今、携帯を開いて誰に連絡を取るつもりだったのだろうか。
何回も何回も私を遊びに誘ってくれた彼女とは最近、連絡をとっていない。何回も何回もドタキャンをすれば当たり前か。携帯に重ねた手に力を込める。
そういえばこの頃、連絡をとっていた親しい友人がいたか考え、むなしくなった。真由子か篠崎くんか、どちらかだけだった。交友関係の狭さを改めて実感した。そんなの前からわかっていたことなのに。
テーブルに残された五百円玉に目をやり、まさか今日が最後にならないよな、と不安になる。私は、真由子との友情をこんな形で終わりにしたくない。
こんな形じゃないとして、どんな形があるのかなんてわからないけど。
(
2008/10/08)
うぇんずでい
朝起きて、カレンダーを見る。近所の商店街でおまけでもらったそれに、赤ペンで大きく丸をつけられた日が、今日。
まじまじと見つめ、携帯で日にちを確認する。そう、今日なのだ。
久しぶりに孝也からメールが来て、今度の水曜ヒマか? と聞かれた。手帳を確認しても何も書かれてなかったのでヒマだと答えた。それだけのことだった。
パジャマらしいパジャマを最近着てないな、と思いつつ、大きく虎の顔が描かれたTシャツを脱ぐ。何回も洗濯されて襟ぐりがゆるくなったこれは、もうパジャマとしてしか着ていない。
私がこれをパジャマ代わりに着ているのを見て、孝也が笑ったことを思い出した。唐突に、懐かしい記憶。
「それかわいいのに?」
もったいないなぁ。と続いた言葉を忘れていなかったことに、少しだけ驚いた。
未練があるとか、そういうわけではない。ただの記憶として残っているだけなのだ。あのクッションだって、あの鉢植えだって、孝也との記憶もあるし、その前の彼氏との記憶もある。
だからって別れたことを後悔してないし、悲しくなることもない。少し胸が苦しくなるだけだ。
クローゼットを開けて、ハンガーにかかっていたロングニットセーターをつかむ。中に一枚着て、スキニーパンツで十分だ。
どうせ孝也だって楽な格好でくるんだろうし。
●●○
書きかけを見つけた。去年の夏頃、本を出すときに考えた第一案の文章。元彼に久しぶりに会って、飲んで、でも別になにも起こらない話だった気がする。元彼的にはあわよくば……な気持ちがあったけど、女にその気はまったくなく、今後も友達として飲めるといいねー、つって解散する感じだった気がする。
まじまじと見つめ、携帯で日にちを確認する。そう、今日なのだ。
久しぶりに孝也からメールが来て、今度の水曜ヒマか? と聞かれた。手帳を確認しても何も書かれてなかったのでヒマだと答えた。それだけのことだった。
パジャマらしいパジャマを最近着てないな、と思いつつ、大きく虎の顔が描かれたTシャツを脱ぐ。何回も洗濯されて襟ぐりがゆるくなったこれは、もうパジャマとしてしか着ていない。
私がこれをパジャマ代わりに着ているのを見て、孝也が笑ったことを思い出した。唐突に、懐かしい記憶。
「それかわいいのに?」
もったいないなぁ。と続いた言葉を忘れていなかったことに、少しだけ驚いた。
未練があるとか、そういうわけではない。ただの記憶として残っているだけなのだ。あのクッションだって、あの鉢植えだって、孝也との記憶もあるし、その前の彼氏との記憶もある。
だからって別れたことを後悔してないし、悲しくなることもない。少し胸が苦しくなるだけだ。
クローゼットを開けて、ハンガーにかかっていたロングニットセーターをつかむ。中に一枚着て、スキニーパンツで十分だ。
どうせ孝也だって楽な格好でくるんだろうし。
●●○
書きかけを見つけた。去年の夏頃、本を出すときに考えた第一案の文章。元彼に久しぶりに会って、飲んで、でも別になにも起こらない話だった気がする。元彼的にはあわよくば……な気持ちがあったけど、女にその気はまったくなく、今後も友達として飲めるといいねー、つって解散する感じだった気がする。